幼少期の自分へあてた手紙 【ご紹介】
今回は、カウンセリングを受けられているクライエントさんが、幼少期のご自分へ書かれた感動的なお手紙をご紹介します。
「もっと頑張らなきゃ」と自分を追い立て続けていた過去から、どうやって自分の感情に寄り添えるようになったのか。
今、生きづらさを感じている方の心にもきっと届くメッセージです。
ぜひ、ご自身の心とも重ね合わせながら読んでみてください。

※ご本人の許可を得て掲載しております。
※掲載用に一部割愛・編集させていただいております。
※幼少期のご自分のことを「Yちゃん」と呼んでいます。
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私はずっと、「普通にしなさい」「普通が一番いいから」という母の言葉に縛られて生きてきた。
間違えているかもしれない。普通じゃないかもしれない。
でも、“普通”とは何なのか、誰も教えてくれない。
だから私は、母の言葉や行動を必死に見て学ぼうとしていた。
周りをずっと観察して、その場の“普通”を探す。
自分の意見や感情よりも、その空間に合う振る舞いを優先する。
そうやって「ちゃんと普通でいること」をこなしてきた。
でも家に帰り、一人になって自分と向き合うと、
本当の気持ちと実際の行動が噛み合っていないことに苦しくなった。
人といると“普通”を演じ続けなければならず、疲れて、人から離れたくなることもあった。
そんな私が少しずつ変われたのは、
「自信を持とう」と頑張ったからではなく、
母から受け取った“普通”という言葉から、自分を解放していったからだと思う。
周りに合わせるより、まず自分の気持ちを感じること。
自分の言葉で相手に伝えること。
本当はとてもシンプルなことなのに、昔の私には難しかった。
でも今は、周りの目や意見に振り回されるのではなく、
「私はどう感じるか」を大切にして動けるようになってきた。
自分の気持ちに沿って生きることは、思っていたよりずっと心地よく、愛おしい。
自分、よく頑張った。
私はずっと、自分の感情を無視し続けてきた。
周りがどう思うか、嫌われないか、そればかり考えていた。
自分のことはいつも後回しだった。
気づいた頃には、心も体もずたぼろだった。
毎日、必死に息をして、必死に歩いて、生きていた。
心が悲鳴をあげているのは分かっていた。
でも、どう対処すればいいのか分からなかった。
抑え込むことしかできない。
生きることそのものがつらかった。
O先生に出会った。
初めて会ったとき、先生は私の感情を全部聞いてくれた。
こんなことに何の意味があるんだろうと思った。
でも、不思議と少しずつすっきりした。
こんな感情的な私の話を聞いて、先生は大丈夫なんだろうか。
そんなことまで心配していた。
6月中旬。
私は、どんな時に緊張したり、苛立ちを覚えるのだろうと考えてみた。
自分の話ばかりする人が苦手
道いっぱいに広がって歩くなど、ルールを守れない人が苦手
ミスをする自分が嫌い
お母さんと長い時間話すのが苦手
いろいろ出てきた。
そして、そのとき私は何を感じているのか考えてみた。
私は、自分の感情や意見を伝えられず、
自分が消えてしまいそうな空間が苦手なんだ。
そして、「もっと頑張らないと」と自分を掻き立て続ける空間が苦手なんだと思った。
これから、緊張したり嫌だと思ったときは、少し自分の心に寄り添ってみようと思った。
ある日、同僚との会話で疲れたとき、
また、私が質問ばかりしている。疲れる。
私はどこへ行ったんだろう。
私、頑張りすぎてない?この人と話すの、疲れる。
前までなら、この人がおかしい。いや、私が会話下手なのか。
そうやって外側ばかり見ていた。
でも今は違う。
ああ、疲れたね。頑張って話を広げたんだね。
会話の責任は、Yちゃん一人にあるわけじゃないよ。
疲れるなら、「そうなんですね」で終わらせてもいいんだよ。
笑顔で会話できた、それだけで十分。
頑張ったね。
そうやって、自分に声をかけられる。
十分だよ、って。
すごく満たされる。とても癒される。嬉しい。
私、頑張っていたんだ。
私はずっと、自分は人より感情的なんだと思っていた。
でも違った。
私は感情を見てこなかった。感情を無視していた。
昔は、感情を押し殺そうとしていた。
でも、抑えれば抑えるほど膨らみ続ける。収拾がつかなくなる。
怒る。
苦しむ。
がむしゃらに頑張る。
波のように押し寄せてくる。
見えていないふりをしても無駄だった。
ずっと、ずっと、私を苦しめた。
今なら分かる。
情は、感情を通して私に何かを伝えようとしていたんだ。
最初は、小さく「おーい」と呼んでいた。
でも、無視し続けると、「おい、見ろや。気づけや」
と、どんどん激しくなる。ずっと教えてくれていたのに、
私は気づいてあげられなかった。
ごめんね、私。
今、やっと気づいたよ。
しんどかったね。苦しかったね。
頑張ったね、もう十分だよ。十分頑張った。ちょっとゆっくりしなよ。
自分の感情に寄り添うこと。
自分の感情と向き合うこと。
それが、私がずっと探していたものだった。
感情を消すことでも、抑えることでもない。
ただ、「私はこう感じているんだ」
と気づいて、認めてあげること。
それが、自分を大切にするということなんだと思う。
今までは「足りていない、もっと頑張らないと」と自分を掻き立て、
朝が来てほしくない、疲弊して死にたいとまで思っていた。
仕事のお金や、評価で認められることで、ようやく受け入れられてきた。
でも今は、足りていることを認められる。
「あいさつできた、十分。ごはんを作れた、十分。
Yはできてる、十分よ。YはYよ。誰でもないYよ。頑張っている」と認めてあげられる。
小さいYちゃんよ、気づくのが遅くなってごめんね。
しんどかったね、苦しかったね。 頑張ったね、もう十分だよ。
今の私がいるのはあなたの頑張りのおかげ。
ずっと頑張ってたの見ていたよ、ありがとうね。もう大丈夫だから、一緒にのんびり生きてみようか。
大人になった私には、かわいい1歳の子供がいるよ。
素直で笑顔がとーってもかわいい女の子。この子に出会ってYちゃんのことをたくさん知ろうと思えたよ。 この子は私の宝物。
そして、Yちゃんも大切な大切な宝物だよ、愛してるよ。
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